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東京地方裁判所 平成3年(ワ)13810号 判決

原告

株式会社フリーラン

右代表者代表取締役

平原一義

右訴訟代理人弁護士

入倉卓志

被告

株式会社サドゥ

右代表者代表取締役

平原浩一

被告

平原浩一

外一三名

右被告ら訴訟代理人弁護士

増田亨

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、各自、別紙取引先一覧表(以下「取引先一覧表」という。)記載の者に対し、「原告は縮小してもう無くなります。原告に働いていた者は全部サドゥに来ますから、原告に対する注文は今後私たちに任せて下さい。」という旨の陳述をしてはならない。

二  被告らは、原告に対し、各自金五〇〇万円並びにこれに対する被告平原浩一については平成三年一〇月二七日から、被告後藤浩二及び被告肥塚毅については同年一〇月二八日から、被告工藤靖二については同年一〇月二九日から、被告片野聡志については同年一〇月三一日から、被告樋口和宏及び被告種市勝司については同年一一月二〇日から、その余の被告らについては同年一〇月二四日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、第一に、バイク便事業を営む原告で働いていた被告ら(被告株式会社サドゥ(以下「被告会社」という。)を除く被告ら全員。以下特に断らない限り被告会社を除く被告らを単に「被告ら」という。)が、原告を退職し、又は原告との契約を解約した後、原告と同種のバイク便事業を営む被告会社を設立してバイク便事業を営み、原告の顧客を奪った等の行為が不法行為になるとして、原告が被告会社及び被告らに対し民法七〇九条に基づき損害賠償を請求し、第二に、被告会社及び被告らが原告について請求の趣旨一項の虚偽事実の陳述をしているとして、原告が被告会社及び被告らに対して不正競争防止法二条一項一一号、三条に基づいて右虚偽事実の陳述行為の差止めを求めている事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、昭和六二年八月三一日に設立され、顧客の注文を受けて速やかに顧客の窓口からその指定する場所にオートバイ等で荷物を配達する、いわゆるバイク便の営業等を行っている会社である。

2  被告後藤光及び被告種市は、平成二年一一月当時、配車係として、被告後藤浩二は、経理係として、それぞれ原告の従業員であり(以下右三名を「被告後藤ら三名」という。)、被告後藤ら三名及び被告平原、被告若生を除くその余の被告ら(以下「被告らライダー」という。)は、原告との契約に基づき、原告のバイク便のライダーとしての仕事を行っていた(以下右契約を「ライダー契約」という。)。

3  被告ら(一部の者を除く。)は、平成三年一月、「サドゥ」の名称でバイク便の営業を開始し、同年二月二一日に被告会社を設立し、被告種市を除く被告らが被告会社に出資をするとともに、被告会社の役員に就任した。被告会社は、原告と同様、バイク便の営業を行っている。

三  争点

1  被告らの退職及び被告会社の設立と被告ら及び被告会社による競業行為等についての不法行為の成否

(一) 原告の主張

(1) バイク便の業務は、顧客から電話で注文を受け、指定された場所にバイクで行って書類その他の荷物を受け取り、指定された場所まで運送するものであり、右運送行為をいかにスピーディーに行うかで他の同業者との優劣が決まるのである。そして、その業務をスピーディーにこなすには、ライダーが東京都内はもちろんのこと、その近隣も含めた地理、あらゆる道路網、主だったビル等を記憶しておくことが必要である。そのため、原告は、多大の広告費用を支払って雑誌広告でライダーを募集し、かつ、素人であった被告らライダーを一人前のライダーとなるまでに育ててきたものである。

(2) ところが、被告らは、原告に勤務していた平成二年一一月ころ又はその前後において、被告会社を設立して原告と同一業種であるバイク便の営業を行うことを共謀し、他の原告のライダーにも呼びかけて共謀を重ね、同年一二月ころから同三年一月にかけて集団で原告を退職し、あるいは退職させ、原告のライダー一〇数名のうち、その大部分を占める被告らがそっくり抜け出して前記二3のとおり、被告会社を設立してバイク便の営業を行っている。

(3) 被告らは、原告を退職するに際し、共謀して原告のファイルから被告らの履歴書、自動車損害賠償責任保険証明書(写し)、運転免許証(写し)等を抜き取って隠匿したほか、原告の営業上の秘密である取引先一覧表をコピーする等して無断で持ち出し、これを利用して被告ら及び被告会社の営業を行った。そのため、被告らがバイク便の営業を始めると同時に、原告が苦労して開拓した顧客であり、かつ、従来原告のみが注文を受けていた会社、例えば日本NCR株式会社(以下「日本NCR」という。)、株式会社CBSソニーグループ、株式会社ファンハウス、株式会社主婦の友社、中村精巧印刷株式会社(以下「中村精巧」という。)等の会社の各セクションで、原告のライダーと被告らがかち合うようになった。また、取引先一覧表以外の会社でも、原告のライダーが従前出入りしていた会社で、原告のライダーと被告らがかち合うようになった。

(4) しかも、被告片野が、渋谷の日本NCRや生島企画に対し、「フリーランは縮小してもう無くなります。フリーランに働いていた者は全部こちらに来ますから、フリーランに対する注文は今後私たちに任せて下さい。」等と述べ、また、その余の被告らも、取引先一覧表記載の会社に対し、同趣旨の言動をし、取引先一覧表記載の顧客を横取りして、偽計による業務妨害を行った。被告らは、原告を一斉に抜け出してサドゥという名称で営業を開始し、取引先一覧表記載の原告の顧客に対して、電話、郵便、会社訪問又は広告等で開業の案内をした際に、右のような行為を繰り返したのである。

また、被告会社は、被告らに右虚偽事実の陳述を行わせたものである。

(5) 以上のような被告会社及び被告らの行為により、原告は、その顧客を奪われたことは当然であるが、そのほか顧客からの注文の電話がかかってきた場合、ライダーを調達できずに配達先を待たせたり、新たに雇傭したライダーは地理が分からず、迅速に対応できないため、顧客からその後の依頼を断られるなどした。原告は、右のような被告ら及び被告会社の行為により、倒産の危険にさらされ、営業上の利益を害されたのである。

(6) 原告は、平成二年六月から同年一一月まで、月平均一二〇五万〇三三五円の運賃収入を得ていたが、被告ら及び被告会社の前記行為により、平成三年の一年間の運賃収入が月平均七六四万六七八五円に減少した。したがって、原告は、被告ら及び被告会社の前記行為により平成三年一月から一二月までの一年間で五二八四万二六〇〇円((1205万0335−764万6785)×12)の損害を被った。

なお、被告会社が原告に対し賠償すべき損害の範囲には、被告らが共謀して原告を集団的に退職し、取引先一覧表記載の会社らと取引して競業行為を行い、それによって原告に与えた損害も含まれるべきであり、その根拠は、法人格否認の法理によるものである。すなわち、本件は、法人格が法律の適用を回避するために濫用された場合であり、被告らは、被告会社を実質的に支配し(支配の要件)、かつ、その責任を回避するために被告会社を設立して法人格を濫用したものであり(濫用の要件)、被告会社は、法人格否認の法理により被告らと一体的に損害賠償責任を負うべきである。

また、仮に法人格否認の法理が認められないとしても、被告会社は、被告設立後における、被告平原を除く被告らの不法行為については民法七一五条に基づいて、被告平原の行為については民法四四条一項に基づいて、不法行為責任を免れないものである。

(二) 被告会社及び被告らの主張

(1) 被告若生は、後記のとおり原告との間で業務委託契約を締結し、また、被告らライダーは、原告との間で自営業者としてライダー契約を締結し、原告の指定する物品を原告の下請けとして運送していたもので、いずれも原告の従業員ではなかったものである。そして、右被告らが、原告との業務委託契約ないしライダー契約を解約し、又は被告後藤ら三名が原告との雇傭契約を解約し、退職した理由は、次のとおり原告に対する不満から生じたものであって、原告と同じバイク便の仕事をする目的で原告との契約を解約し、退職したものではなく、その違法性はない。

(ア) 被告若生は、平成元年五月ころから、原告でライダーの仕事をしていたところ、平成二年三月から、原告代表者からの申入れにより、年額五〇〇万円の報酬を受け取る約束で、原告の営業、人事、総務等の責任者としての業務を委託され、原告の従業員ではなく、自営業者として右業務を請け負い、以後原告の実質上の責任者として、売上を順調に伸ばして行った。

しかし、原告代表者は、個人で違法に営業するトラックの無許可運送業の経費をすべて原告に請求し、一方右業務による利益は自分が着服し、原告の資金繰りを悪化させておきながら、原告の資金繰りの悪いことや、利益率の低いことを被告若生に対し指摘して非難したり、被告若生に対し、右無許可運送業のトラックの運転を強制しようとしたりしたため、被告若生と原告代表者の仲は次第に悪化していった。

また、原告のライダーの一人であった訴外二見圭一は、平成二年八月に、原告のライダーらに対し被告若生を中傷する発言を繰り返し、ライダー達の間に動揺と混乱を生じさせたため、ライダーらの要求により一旦はライダーの仕事をはずされ、原告代表者個人による前記無許可運送業の業務に従事していたものであったところ、原告代表者は、同年一一月上旬ころ、被告若生に対し、同月一五日から、右二見を原告のライダーに復帰させること、及び、被告若生については、ライダーと内勤の兼務とし、報酬は、ライダーとしての売上げに対する歩合と、内勤手当月額五万円に変更する旨を伝えた。被告若生は、原告代表者の右提案が、被告若生を辞めさせるためのものであることが明らかであったため、数日後、平成二年一一月一五日で原告との前記業務委託契約を解約する旨を告げ、原告代表者はこれを了解した。

(イ) 被告平原、被告若生を除くその余の被告らは、いずれも被告若生が原告を去り、二見圭一がライダーとして復帰したことに伴い、再び原告の調和が乱れ、混乱が生じたため、その混乱に嫌気がさして、平成二年一一月二〇日から同三年一月二五日までの間に、被告らライダーは、原告との間のライダー契約を解約し、被告後藤ら三名は、原告との雇傭契約を解約して原告を退職したのである。

(ウ) 被告平原は、原告に従業員として雇傭されたことはない。同人は、かつて原告の監査役であったが、それも平成二年八月三一日をもって任期満了によって退任している。したがって、被告平原は、平成二年九月以降、監査役報酬も受領していない。

(2) 被告平原を除く被告らの退職ないしはライダー契約の解約については、次のとおりであり、おおむね予め書面又は口頭で告知しており、突然解約したり、退職したわけではない。したがって、原告は、誰がいつ辞めるのかについて事前に分かっており、後任の人材を補充する時間的余裕があったものである。たとえば、経理担当の被告後藤浩二については、平成二年一二月三一日をもって退職する旨原告に伝えていたが、引継ぎが円満に行えなくなったため、原告の要望により、平成三年一月二五日まで、退職を引き伸ばしていたものである。

氏名  解約ないし退職の意思の告知日  契約終了ないし退職日

被告片野 平成二年   平成二年

一一月二〇日 一二月二〇日

被告渡辺 右同日 右同月末日

被告後藤浩二 同年   同三年

一一月下旬  一月二五日

被告後藤光 同年    同二年

一二月一〇日 一二月一〇日

被告種市  右同日   右同日

被告二見  右同日   右同日

被告大野  右同日   右同日

被告樋口  右同日   同年

一二月末日

被告張   右同日   同三年

一月一〇日

被告工藤  同年    同二年

一二月一一日 一二月下旬

被告田谷野 同年    同年

一二月下旬 一二月下旬

被告肥塚  同年    同三年

一二月中旬 一月末日

(3) 被告らは、ライダー契約の解約又は退職に際して、原告の取引先一覧表を持ち出すようなことは一切していない。原告の顧客については、各ライダーがそれぞれ仕事を通じて知っていたものであり、わざわざ取引先一覧表を持ち出す意味すらなかった。

バイク便業界は、競争が激しく、その正確、迅速という業務内容、サービス、価格により各社が凌ぎを削っているのであり、特別な契約がない限り、顧客を独占する権利はどの会社にもないものである。原告も、その顧客と独占契約を締結していたわけではないのであるから、顧客に対する既得権などあろうはずがなく、公正な自由競争の原理のもとでの顧客獲得活動は許されているのである。

(4) 被告らは、原告の顧客に対して、原告を誹謗中傷したことは一切ない。

(5) 原告の主張する法人格否認の法理は、本件のような場合に適用されるものではなく、主張自体失当である。

2  被告会社及び被告らの虚偽事実の陳述の差止めについて

(一) 原告の主張

前記1(一)(4)のとおりである。

(二) 被告会社及び被告らの主張

前記1(二)(4)のとおりである。

第三  争点に対する判断

一  被告らの退職及び被告会社の設立と被告ら及び被告会社による競業行為等についての不正行為の成否

前記第二、二の事実並びに証拠(甲一一、一二、一六、乙一ないし一四、原告代表者、被告若生淳、被告片野聡志及び後記括弧内の各証拠)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告の設立と被告らの勤務形態

(一) 原告代表者は、昭和五〇年代から、個人としてトラック運送業を営んでいたものであるが、同六二年三月ころから、自らはトラック運送業を営むかたわら、バイク便の事業を開始することにし、被告後藤浩二及び麻生賢治の二人をメンバーとして、「バイク忍者便」との名称で、バイク便の営業を開始した。そして、麻生が前に働いていたバイク便会社の同僚であった被告肥塚及び原告代表者のトラック運送業の関係者から紹介された被告後藤光は、いずれも昭和六二年四月から右「バイク忍者便」でライダーとして勤務するようになった。また、被告張は昭和六二年五月ころから、被告渡辺は同年七月ころから、被告種市は同年八月ころから、いずれも雑誌の募集広告に応じて右「バイク忍者便」でライダーとして勤務するようになった。

原告は、昭和六二年八月三一日、設立されたが、原告代表者は、原告設立後もトラック運送業に専念し、バイク便事業については麻生に委せていたため、麻生が原告代表者に代わって原告の管理運営の責任者を務め、また、被告後藤浩二が原告の内勤(経理係)の仕事を担当していた。

原告が設立された後、被告大野は昭和六三年五月ころ、被告片野は同年六月ころ、被告樋口は同年四月ころ、被告田谷野及び被告工藤は同年七月ころ、いずれも雑誌の募集広告に応じて原告にライダーとして勤務するようになった。また、被告若生は、原告代表者のトラック運送業関係の取引先に勤務していて原告代表者と知り合うようになったことから、平成元年五月ころから、被告二見は、原告に勤務している二見圭一の弟であることから、同二年六月ころから、それぞれ原告にライダーとして勤務するようになった。なお、被告平原は、平成二年八月までは原告の監査役であったが、同月で監査役を辞め、その後は監査役の報酬も受領していない。

(二) 原告においては、内勤者は、原則として、原告の従業員であり、原告との期間の定めのない雇傭契約に基づき、原告から給与及びボーナスの支払いを受け、社会保険に加入する等の身分保障があるが、ライダーは、勤務時間は決まっていたものの、原告との雇傭契約はなく、原告との間には原告のバイク便のライダーの仕事を請け負う旨の期間の定めのないライダー契約があるのみで、その収入はライダーとしての仕事の実績に応じた歩合給であり、従業員としての身分保障はない自営業者である。

また、原告の従業員ではない被告らライダー及び被告若生は、原告との契約が終了し、原告を退職した後に競業避止義務を負う旨を原告と合意していなかったことは当然であるが、原告と雇傭契約を締結していた被告後藤ら三名も、退職後に競業避止義務を負う旨を原告とは合意していなかった。

2  被告若生による原告の管理運営と同被告の退職

(一) 原告代表者は、前記のとおりトラックの運送業に主に従事していたため、原告の設立直後から麻生を原告の管理運営の責任者としていたが、その後、麻生と被告若生、被告肥塚及び二見圭一の三名との間で対立が生じ、結局、平成二年三月初めころ、原告代表者と麻生が相談をして、麻生が原告を退社することとなった。その際、被告若生、被告肥塚及び二見圭一の三者の話合いにより、被告若生が麻生に代わって新たに原告を管理運営する責任者となることが合意され、原告代表者は、右話合いの結果を受けて、当時ライダーであった被告若生に対し、原告の営業、人事、総務の責任者の仕事を依頼し、その報酬として年額五〇〇万円を一二か月に分割して支払い、身分はライダーであったときと同じく、雇傭契約に基づく従業員ではなく、自営業者に対する業務委託の形式で行う旨を合意した。また、原告代表者は、その際に、新たに被告後藤光を内勤とし、従来から内勤であった被告後藤浩二とともに原告の従業員とすること、二見圭一と被告肥塚は、ライダーのまま内勤の兼務とし、ライダーとしての報酬に内勤手当として月額五万円を支払うことなども合意した。さらに、被告種市は、平成二年五月ころ、ライダーから内勤の従業員に変わっている。

(二) ところが、二見圭一は、平成二年五月ころから、被告若生のライダーの処遇の仕方、勤務態度等についての不満を原告のライダーらに吹聴するようになり、原告のライダーの中に動揺が生じるようになったため、被告若生は、原告の各ライダーと話し合い、その誤解を解いていった結果、多くのライダーは、被告若生を支持し、原告代表者に対し、二見圭一をバイク便の仕事から外してもらいたい旨をライダー全員の意見として申し入れるとの事態となった。そのため、原告代表者は、二見圭一をバイク便の仕事から外すことを了承し、原告代表者個人の事業であるトラック運送業に従事させることとなった。

被告若生は、その後順調に原告の売上げを伸ばし、平成二年一月から同年五月の原告の売上げは、月額五〇〇万円台から八〇〇万円台であったのに対し、同年六月から同年一二月までの原告の売上げは、月額一〇〇〇万円を超えるようになり(甲一四、一七の1ないし12)、原告の経営は、被告若生が管理運営の責任者となった後、順調であった。

しかし、原告代表者は、被告若生とは原告の経営方針や被告若生の勤務時間等をめぐって必ずしも意見の一致しないことがあり、また、被告若生も、二見圭一が前記のとおり被告若生についての不満を原告のライダーに吹聴したことについて、原告代表者の指示があったのではないかとの疑いをもっており、このようなことから原告代表者と被告若生との関係は必ずしも良好なものとはいえなかった。

原告代表者は、このような状況下で、平成二年一一月上旬ころ、事前に被告若生その他の者に十分相談することなく、被告若生に対し、二見圭一のみそぎは終わったと称して、二見圭一を原告のライダーに復帰させるとともに、被告若生をライダーと内勤との兼務とし、報酬もライダーとしての売上げに対する歩合給と内勤手当月額五万円に変更する旨を告げた。被告若生は、原告代表者の右提案が被告若生を原告の管理運営の責任者の地位から降格させ、かつ、その収入を一方的に変更するものであって、右提案により同人が退職するに至るのもやむをえないというものであったこと、また、従来から原告代表者と経営方針が一致せず、原告代表者に対する信頼感も薄かったことから、右提案の数日後には、原告代表者に対し、同月一五日で、委託された責任者の仕事を辞める旨を伝え、原告代表者の同意を得て、同日、原告との業務委託契約を終了させた。

3  被告若生退職後の他の被告らの退職

被告若生が右のとおり平成二年一一月一五日に退職し、二見圭一が原告のライダーとして復帰することになったため、原告の内勤者やライダーらに不安と混乱が生じ、被告片野及び被告渡辺が、それぞれ同年一一月二〇日ころに、翌月二〇日又は翌月末日で原告のライダーを辞める旨の書面を原告代表者に提出し(甲七、八)、また、被告後藤浩二も、同年一一月末ころ、原告代表者の経営のやり方に不信をもっていたことから、同年一二月二五日をもって原告を退職する旨の書面を原告に提出した。原告代表者は、被告後藤ら三名の内勤者に対するボーナスの支給時期を早めて、同年一二月一〇日にこれを支給したり、同日に被告らライダーに対しても、原告を辞めないように説得を試みたものの、原告代表者は、元来、原告に出社する機会が少なく、かえって被告若生の方が、多くの内勤者、ライダーの信頼を得ていたため、被告若生の退職と二見圭一のライダー復帰により生じた前記混乱を抑えることができず、結局、ライダーである被告大野、被告二見は、翌一二月一一日から原告に出勤しなくなり、また、内勤者である被告後藤光と被告種市は、いずれも右同日に被告後藤浩二に対し原告を退職する意思を告げ、同じく以後出勤しなくなってしまった。そして、事前の通告どおり、被告片野が同年一二月二〇日に、被告渡辺が同月三〇日に辞め、また、被告工藤、被告樋口も、同月一〇日ころ原告代表者に対し原告を同月末に辞める旨伝えたうえで、同月三一日、いずれも原告を辞め、更に被告田谷野も同月下旬に原告を辞めた。なお、被告樋口は、平成二年一〇月一八日、勤務中に交通事故を起こして約一か月間入院し、退院後もしばらくの間はライダーとしての仕事ができなかったため、同年一二月一〇日、原告代表者に対し、右の事情で同月三一日をもって退職したい旨を述べて辞めている。

被告張は、被告若生が辞めたことから原告で仕事を続ける気持ちを失ったが、直ちに辞めると年末の忙しい時期に原告に迷惑がかかると考え、平成二年一二月一日ころ、原告の内勤者らに対し同三年一月一〇日をもって辞める旨を告げ、右同日をもって辞めている。被告後藤浩二は、前記のとおり、同年一二月二五日をもって辞める予定で事務の引き継ぎをしていたところ、引き継ぎを受けるべき者も辞めてしまったため、退職を一か月先に延ばし、後任者への引き継ぎを行った後、平成三年一月二五日に原告を退職した。さらに、被告肥塚は、原告に勤務する以前に既に他のバイク便で勤務した経験があり、原告の設立前から参加し、画家の仕事をしていた経験を生かして原告のユニフォームをデザインするなどし、原告代表者の信頼も得ていたが、原告の経営方針をめぐる会社内の混乱などから次第に嫌気がさし、平成二年一二月中旬ころに、原告代表者に対し、同三年一月末日をもって辞める旨を告げて、その旨の書面を提出したうえで、同日退職している(甲一〇)。

4  被告ら退職後の原告の状況

原告は、平成二年一一月には、約二〇名のライダーとライダー契約を締結していたが、右のとおり、被告らが相次いで退職したため、残ったライダーの中から三名を内勤の配車係に配置し、一時的に残った六名のライダーで仕事をせざるを得なくなった。そのため、新たにライダーを補充するまで、得意先の注文に対し迅速な対応が十分にはできないような仕事上の混乱も生じた。しかし、被告らの退職による影響が強く出ると思われる原告の平成三年度前半の売上げは、月七〇〇万円ないし八〇〇万円台と、同年後半の売上げ六〇〇万円ないし八〇〇万円より若干多く、また、同二年六月ないし一二月の売上げよりは減少しているが、同二年一月ないし五月の売上げを若干上回る数字ではあった(甲一四、一七及び一八の各1ないし12)。

5  被告会社の設立

被告ら及び当時原告のライダーであった和嶋勝一は、平成二年一二月一〇日、原宿のロイヤルホストという店に集まり、仕事上の愚痴をこぼしたりしているうちに、新たなバイク便の会社を設立するとの話題になり、そこで話を進めるうちに被告種市を除く被告らが全員協力して新会社を設立する方向でほぼ話がまとまった。そして、被告肥塚及び被告種市を除く被告らは、平成二年一二月下旬に、目黒区の区民センターに集まり、バイク便の会社を設立するための具体的な定款の内容等について話し合い、その結果、被告ら各人が出資して発起人となり、被告会社を設立することとなった。

被告若生、同後藤光、同平原、同渡辺、同片野、同二見、同工藤、同田谷野は、平成三年一月四日から、被告会社の設立に先立ち、被告後藤光のアパートを事務所として、「サドゥ」の名称でバイク便の営業活動を始めた。

被告会社は、平成三年二月二一日設立され、代表取締役社長に被告平原が、取締役副社長に被告若生が、監査役に被告肥塚が、その他の取締役に、被告種市を除くその余の被告らが就任し、被告会社設立前の「サドゥ」の名称によるバイク便の営業活動を継承し、現在に至っている。また、被告種市は、平成三年三月下旬から被告会社に勤務するようになった。

原告の大口の得意先には、株式会社CBSソニー出版(後に「株式会社ソニーマガジン」と商号変更)、日本NCR、中村精巧などがあり、このうちCBSソニー出版と日本NCRの一部のセクションでは、従前原告のみが他の同業者と競合することなくバイク便の仕事をもらっていた。被告らは、被告会社設立の前後に、顧客にダイレクトメールを送付したりあいさつ廻り等を行い、当初はなかなか仕事をもらえなかったものの、間もなく右CBSソニー出版や日本NCR等の原告の得意先からも仕事をもらうようになり、原告と被告会社が同一顧客をめぐって競合することもあった。ただし、右CBSソニー出版は、その後大和運輸株式会社及び株式会社セルートにもバイク便の仕事を依頼するようになっている。

なお、被告らは、退職に際し、履歴書、自動車損害賠償責任保険証明書(写し)、運転免許証(写し)等を抜き取って隠匿したり、原告の取引先一覧表を無断で持ち出してはいない。また、原告が主張する被告らの営業誹謗行為についても、これを認めるに足りる証拠はない(原告の主張する営業誹謗行為の証拠としては、原告代表者の陳述書(甲一六)及び同人の尋問の結果があるところ、右原告代表者の陳述書及び尋問結果の内容は、遠藤邦彦からの伝聞によるものであり、しかも右証拠による遠藤邦彦の発言内容自体も伝聞である。そして、右営業誹謗行為をなしたとされている被告片野はその尋問において右事実を否認し、一方、遠藤邦彦は証人として採用されたが出頭しないなどの事情に鑑みると、右証拠によっては原告の主張を認めるには足りない。)。

6  バイク便業界の実情

バイク便事業を営む会社は、数十社あり、顧客は、バイク便業務の性質上、適正な価格で正確かつ迅速に仕事を処理する会社に仕事を発注するものであり、そのためバイク便業界は、顧客の維持、獲得のための競争が厳しい業界であり、ミスを起こしたり、営業努力を継続していかないと、他社に顧客を取られることは珍しいことではない。

また、バイク便業を営む会社は、常時、雑誌等でライダーの募集広告を幅広く行っていること、及び、ライダーの身分は、従業員ではなく、ライダー便会社の業務を継続的に行う自営業であり、その収入も歩合制であって、身分が不安定であることから、ライダーの特定の会社への定着率は決して高いとはいえない。

なお、ライダーが業務を迅速、的確に処理することができるようになるためには、仕事の要領を憶えるほか、都内及びその近郊の道路、固定客のあるビル等を記憶する必要があるが、原告においては、経験のないライダーについては、最初の数日聞のうちに経験者であるライダーに同行して顧客の会社建物のある場所を確認し、仕事の要領も憶えさせるというやり方でライダーの養成をしているが、その後は実際に仕事をしながら必要な知識、経験を身につけるものであり、早ければ一か月ほどでおおよそ一人前のライダーになっていくのが通常であった。

二 雇傭契約終了後の競業避止義務は、法令に別段の定めがある場合、及び、当事者間に特約がなされた場合に合理的な範囲内でのみ認められるものであり、右の競業避止義務が認められない場合は、元従業員等が退職後に従前勤務していた会社と同種の業務に従事することは、原則として自由である。しかしながら、元従業員等の競業行為が、雇傭者の保有する営業秘密について不正競争防止法で規定している不正取得行為、不正開示行為等(同法二条一項四号ないし九号参照)に該当する場合はもとより、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で雇傭者の顧客等を奪取したとみれるような場合、あるいは、雇傭者に損害を加える目的で一斉に退職し会社の組織的活動等が機能しえなくなるようにした場合等も、不法行為を構成することがあると解すべきである。

1 そこで、本件についてこれをみてみるに、被告らは、原告との間で退職後の競業避止義務を負う旨合意していなかったこと、並びに、被告若生及び被告らライダーは、原告と雇傭契約を締結した従業員ですらなかったことは前記のとおりである。

2 次に、被告らの本件競業行為が、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な行為であるか否かについて判断する。

前記認定事実によれば、被告平原を除く被告らは、二か月余りの間に相次いで原告を辞め、その結果、原告は、ライダーの数が足りず、一時経営上の困難に遭遇したこと、及び、被告らないし被告会社の競業行為により、原告がその得意先の一部を失ったことは否定し得ないところである。

しかしながら、被告らライダー及び被告後藤ら三名が相次いで原告を辞める発端となったのは、被告若生が退職したことであるところ、その原因は、原告代表者が、当時の原告の内勤の従業員やライダーらに十分相談することもなく、突如二見圭一をライダーとして復帰させるとともに、被告若生を原告の責任者という立場から内勤とライダーの兼務という立場に降格させるという措置をとったことにある。元来、原告代表者は、個人としてトラック運送業の仕事をしており、原告にはあまり出勤せず、会社の内情にも必ずしも精通していなかったのであるから、このような措置をとるに当たっては会社内の状況をよく把握している者から事情を聞き、また当事者である被告若生からも十分意見を聞くなどしてから行うべきところ、そのようなことをした形跡はなく、また、当時原告の業績は、被告若生が責任者となる前に比べて順調であり、殊更、被告若生を事実上降格するような理由がないと思われることからすると、そのような措置自体の合理性が疑われるところであり、原告代表者が右措置の合理性を被告らライダーや被告後藤ら三名に十分説明できなかったことが右被告らの退職を招いた大きな原因であったものと認められる。

そして、前記認定のとおり、被告らが退職に際し原告の取引先一覧表やその他の書類を持ち出してはいないこと、及び、原告の顧客等に対し営業活動を行うにあたって、原告が主張するような原告の信用を害する虚偽事実の陳述行為をしたと認めるに足りる証拠がないこと、また、バイク便事業は、競争が厳しく、正確かつ迅速に仕事を処理する会社に仕事が発注されるものであり、他社に仕事を取られることは珍しいことではないこと、さらに、ライダーは、その身分が不安定であり、もともと特定のバイク便会社に長期間勤務するかどうかについては不確定な立場であって、個々のライダーが原告を辞めて他のバイク便会社へ移ることについては、基本的には何の制約もないものであること等の本件の具体的な諸事情を全体的に考察すれば、まず、被告らライダーが、前記のような原告代表者によって生じた原告の会社内部の混乱と不安から二か月余りの期間に次々に原告を辞めていったこと、及び、その後、バイク便業を継続したり、新会社を設立したことは、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した行為とみることはできない。

また、被告若生は、前記のとおり、業務委託契約に基づき原告を管理運営し、原告の売上げを順調に伸ばしていったにもかかわらず、原告代表者から特段の理由もなく、原告を管理運営する責任者の立場から、一介の内勤兼ライダーの立場への降格と収入の条件の変更という、業務委託契約の内容の変更を一方的に言い渡されたものであり、右のような立場に立たされた被告若生が原告を辞めたこと、及び、退職により直ちに収入の途が途絶えた被告若生が、原告と同一のバイク便業務を営む会社を設立し、原告と競業行為を行うこと自体は、その身分の不安定性等を考慮すれば、特段違法なものということはできない。ただし、被告若生が右のような会社を設立する際に、故意に原告に損害を加える目的で原告のライダーを集団で引き抜いたとすれば、前記のとおり違法性が生じることもあり得るのではあるが、本件の場合は、被告らライダーが、前記のとおり原告代表者の行為を原因として生じた原告の社内の混乱に嫌気がさして自発的に原告を辞めていったものであり、被告会社の設立計画も、原告の先行きに対する不安や原告代表者への不信感をもった被告らが話し合う機会をもつうちに自然に固まっていった話とみられるものであるから、被告若生についても被告会社の設立とその前後の競業行為が社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な行為であると認めることもできない。

さらに、原告の内勤の従業員であった被告後藤ら三名も、前記のとおり、原告との雇傭契約において、退職後の競業避止義務を負っていたわけではなく、原告代表者が被告若生を退職させ、二見圭一をライダーに復帰させたことにより生じた原告内部の不安や混乱を原因として、原告を辞めていったものであること、また、前記のとおり、被告後藤ら三名が故意に原告に損害を加える目的で原告のライダーを集団で引き抜いたわけではなく、ライダーらは、原告社内の混乱に嫌気がさして自発的に原告を辞めていったものであること、さらに、被告後藤浩一は、前記のとおり、平成二年一一月末ころ、同年一二月二五日に退職する旨を伝えていたものの、後任者への引き継ぎのために、同三年一月二五日まで延長して原告へ勤務し、原告の内勤業務に支障が生じないように退職の時期を当初の予定より遅らせていること、さらに、被告種市は、原告を平成二年一二月一一日に辞めているものの、被告会社に勤務したのは同三年三月下旬になってからであり、他の被告らと異なり被告会社の設立には関与しておらず、被告会社の取締役でもないこと、以上によれば、被告後藤ら三名の被告会社の設立ないし競業行為は、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な行為であると認めることはできない。

さらに、被告平原は、前記のとおり、平成二年八月で原告の監査役の職務を辞し、その後、原告との関係はなかったものであり、同人について退職後の競業避止義務があったと認めることもできない以上、同被告の被告会社設立行為、競業行為も特段違法なものとはいえない。

また、被告会社は、原告と同種のバイク便業務を営むことについては何らの法的制約もなく、右業務を自由に遂行できるものであるから、被告会社による競業行為については、格別違法性はない。また、被告会社について原告が主張するような虚偽事実の陳述行為についてもこれを認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりである。

以上によれば、被告ら及び被告会社の行為は、いずれも社会通念上自由競争の範囲を逸脱する違法な行為であるということはできず、原告の不法行為に基づく損害賠償請求は、その余の法人格否認の法理、民法七一五条、四四条一項等の主張について判断するまでもなく理由がない。

三  被告らによる営業誹謗行為の有無

原告の主張する営業誹謗行為については、前記一5のとおり、これを認めるに足りる証拠はない。

したがって、原告の右主張に基づく差止請求も理由がない。

四  以上によれば、原告の請求は、いずれも理由がない。

(裁判長裁判官設樂隆一 裁判官橋本英史 裁判官大須賀滋)

別紙取引先一覧表〈省略〉

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